大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和50年(ラ)491号 決定

抗告人(附帯被抗告人)

湖東濟

抗告人(附帯被抗告人)

袴田悟良

右両名代理人

森松萬英

相手方(昭和五一年(ラ)第八三五号附帯抗告人)

湖東のぶ

右代理人弁護士

大石力

相手方(昭和五一年(ラ)第一、〇〇八号附帯抗告人)

湖東知子

相手方(同)

湖東宏行

被相続人

湖東多門

主文

原審判を取消す。

本件を静岡家庭裁判所浜松支部に差戻す。

理由

(抗告の趣旨及び理由)

昭和五〇年(ラ)第四九一号抗告事件の抗告人湖東濟(以下「濟」という。)、同湖東悟良(以下「悟良」という。)、昭和五一年(ラ)第八三五号附帯抗告事件の附帯抗告人湖東のぶ(以下「のぶ」という。)、同年(ラ)第一、〇〇八号附帯抗告事件の附帯抗告人湖東知子(以下「知子」という。)、同湖東宏行(以下「宏行」という。)の各申立の趣旨はそれぞれ「原審判を取消し、さらに相当の裁判を求める。」というのであり、抗告理由及び各附帯抗告理由は、それぞれ別紙一ないし三記載のとおりである。

(当裁判所の判断)

一昭和五〇年(ラ)第四九一号事件の抗告理由について

1  抗告人らは、昭和四五年八月ころ相続人間で遺産分割協議が成立しているから、相手方のぶには遺産分割請求権がなく、本件申立は不適法として却下すべきであると主張する。

この点についての判断はその結論において原審判と同一であり、その理由は次に附加するほか同一であるからこれをここに引用する。

当審における抗告人審問の結果によつてもこれを覆えすことはできない。すなわち、抗告人ら主張の協議内容については、相手方のぶ及び通明(同知子、同宏行の亡実父)の各寄与分を考慮していないばかりでなくその内容がその希望に沿わないものであるとして、相手方らが激しくこれを争つている上、その協議内容として抗告人らが履行を約束したという相手方知子、同宏行の学費援助、相手方のぶの扶養(引取または金銭仕送り)についてその後今日にいたるまで抗告人らが何ら履行していないことなどを合せ考えると、右抗告人ら主張に沿う抗告人ら審問の結果は信用し難く、他にこれを認めることのできる的確な証拠もない。したがつて、この点の抗告人ら主張は失当である。

2(一)  抗告人らは被相続人の遺産として書画、骨とう、刀剣類が多数ある筈であると主張するが、これらが現に存在することを認めるに足りる証拠はない。また、もしそれが後日発見された場合には、その財産について追加的に遺産分割を申立てれば足り、その存在は何ら本件遺産分割の効力に影響を及ぼすものではない。この点の抗告人ら主張は失当である。

(二)  抗告人らは、被相続人の遺産として、定期預金など多額の債権があるから、これを本件遺産分割の対象とすべきであると主張する。しかし、右のような債権は相続開始とともに各法定相続分の割合に応じて当然に分割される(最高裁昭和二九年四月八日判決参照)から、そのような債権が存在しているとしても、本件遺産分割の対象とする余地はないというべきである。この点の抗告人ら主張も失当である。

3(一)  抗告人らは、被相続人が、原審判別紙目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)のうち、19、20の田についてのみ相手方知子、同宏行の親権者湖東伊志子(以下「伊志子」という。)に事実上耕作させていたのにすぎず、その余の田畑を同人に賃貸したことはもとより耕作を許していたこともないから、これらの農地については伊志子の賃借権の制限がないものとして評価すべきであると主張する。

記録によると次の事実が認められる。

伊志子は昭和二六年四月一日当時被相続人と同居していた被相続人の三男の通明と婚姻し、夫と共に被相続人の農業に協力し耕作に従事していたが、その後被相続人、相手方のぶ夫婦との折合いが悪くなり昭和三二年ころ被相続人夫婦と別居し、自己所有の農地を耕作していたころも、その傍ら本件不動産中8、10、17、23の各田を除く大部分の農地を耕作して被相続人の農業に協力していた。通明は昭和三七年一月一六日に死亡したが、伊志子はその後被相続人が昭和四五年一月一九日死亡するまでの間引続き通明の農業を承継し、従前と同様に、本件不動産中前記農地を耕作していた。しかし、右農地の耕作については、通明はもとより伊志子もまた農地法三条による農業委員会の許可をえていなかつた。

以上のとおり認定でき、〈る。〉。

以上の事実によると、通明は、農業を主宰する被相続人の家族の構成員(別居後も同じ)として、家業の農業に協力し、被相続人の農地を事実上耕作していたものであり、伊志子は通明の生存中は同人とともに、その死亡後は単独で、通明と同様に被相続人の農業に協力し事実上耕作していたものというべきである。通明及び伊志子が被相続人からもつぱら耕作すべき田を特定され耕作に従事していたけれども、そのことは右のように理解する妨げとなるものではない。(もつとも、このように解したとしても、後に述べるように、通明、伊志子夫婦の実子である相手方知子、同宏行に対する具体的な分割財産の特定に関しその考慮の対象となることはいうまでもない。)。〈中略〉

二昭和五一年(ラ)第八三五号および同年(ラ)第一、〇〇八号事件の抗告理由について

遺産相続における寄与分なる観念は、個人経営の農業や商業等においては、事実上、事業主を中心とする家族成員の協力によつて事業が営まれる場合が多く、かかる場合においては、右の協力的活動によつて財産の維持または増加に寄与した相続人に対して、事業主が死亡しその遺産を分割する際に、決定相続分とは別に、右協力に対する対価関係の清算が認められるのでなければ、社会の実態に即さず、また、かかる協力をしない相続人と対比して不公平の感を免れないという理念を内容とするものであろう。

当裁判所は、相続財産の維持または増加についても公平の原理を基本とする不当利得の原則の適用があつてしかるべきであるから、相続財産の維持または増加に寄与した程度が配偶者については民法第七五二条に基づく通常の協力扶助の程度を超え、直系卑属については同法第七三〇条に基づく通常の相互扶助の程度を超えるものであり、かつ、その評価額が当該事業の費用として相応である限り(所得税法五七条参照)、遺産の分割に際し、法定相続分とは別に、かかる寄与なる観念を認めても、法定相続分を定める民法の精神に反しないと考える。そして、遺産の分割に際しては、かかる寄与分の共益費用的性格にかんがみ、まずこれを評価算定してこれを相続財産の価額から控除し、残額につき法定相続分に従つて算出された価額に右寄与分の評価額を加えた価額をもつて当該相続人の取得分とし、しかる後に民法第九〇六条、家事審判規則第一〇九条に則り具体的配分を行うべきであると解する。

もとより、相続財産の維持、増加に協力する形態は、右のような労務の提供に限られず、資金を提供して相続財産の一部を買戻し、あるいは新たに取得するなど種々の形態が考えられ、かかる協力の形態は被相続人が事業を経営する場合に限られないわけであるが、このような協力についても、右に準じて当該相続人の寄与分を評価算定するのが相当である。

1  附帯抗告人のぶの寄与分

(一) 記録によると、次の事実が認められる。

(1) 附帯抗告人のぶは昭和一八年三月に四一歳で被相続人と再婚し、婚姻挙式の上同居したが、先妻の子である抗告人らの反対があり同人らとの感情的な対立が生ずることを虞れ婚姻届出が遅れていたところ、昭和三九年一〇月二七日にいたり漸くその届出をするにいたつた。右のぶは内縁に入つた後昭和二八年三月ころまで女学校、中学校の教員として勤務し、その給与は自分の小遣いや職業費を除きすべて家計費にあて、被相続人は別紙目録記載の農地総面積田二、七四七平方メートル(二反七畝二一歩)、畑六一二平方メートル(六畝五歩)(それらは被相続人が家督相続により取得したもの及び婚姻前に取得したものである。)を耕作して農業に従事し、被相続人の若干の恩給も合わせて、漸く被相続人及びのぶの生計が維持できる状態であつた。

(2) のぶは昭和二八年三月ころ五一歳で教員を退職したが、退職金約七万円は殆んど自己のリウマチの治療費にあて、その一部で土地(本件不動産以外のもの。袋井市川井字宮の前五三七番六宅地72.76平方メートル)を取得し、実家からの援助をえてその地上に家屋を建てたが、この家屋は現在実妹鈴木あいに賃貸している。

(3) のぶは、教員を退職後通明夫婦とともに農業の手伝いをし、昭和三二年ころ通明夫婦が被相続人夫婦と別居して以後、被相続人死亡の昭和四五年一月一九日までの間は、被相続人とともに居住家屋周辺の別紙目録8、10、17、23の農地の耕作に従事し、その後現在まで人手を覆うなどして右農地の耕作を続けている。

(二) 以上の事実によれば、附帯抗告人のぶは、少なくとも、教員を退職した後の昭和二八年四月ころから被相続人が死亡した昭和四五年一月ころまでの間被相続人の主宰する農業に事実上協力し、その結果、本件不動産が維持されたものであり、その協力の程度は妻としての通常の協力を越えたものというべきであるから、本件遺産の分割にあたつては、まず、その寄与分を評価算定してこれを相続財産の価額から控除し、残額につき法定相続分に従つて算出された価額に右寄与分の評価額を加えた価額をもつて同人の取得分とし、しかる後に遺産の分割を実行すべきものである。原審判が、附帯抗告人のぶにつき、右寄与分を全く考慮せず、同人の取得分を法定相続分のみであるとして本件遺産分割を実行したのは失当であり、取消を免れない。

なお、附帯抗告人のぶの寄与分の評価算定について付言すれば、同人の農作業の種類、程度、期間および被相続人方の農業規模ならびに農業所得などから裁量により合理的に算出した労務対価額(給与相当額)より、その期間における同人の生計費相当額を控除した額が、これにあたると解する。

2  附帯抗告人知子、同宏行の相続した通明の寄与分

(一) 記録によると次の事実が認められる。

(1) 附帯抗告人知子、同宏行の亡父通明は昭和二四年一〇月末ころ(当時二八歳)から被相続人の農業手伝いをしていたところ、被相続人は通明(三男)を農業の後継者に定め、通明が昭和二六年四月一二日伊志子と婚姻後も被相続人夫婦と同居し、そのころから事実上被相続人方の農業経営の主体となつて農業に専従した。

(2) その後、被相続人夫婦と通明夫婦との折合いがよくなかつたことから、昭和三二年ころ通明夫婦が被相続人夫婦と別居して生活することとし、その際両者協議し、当時六七歳になつた被相続人は老令で十分に耕作に従事できなくなつたため、本件不動産1ないし3の宅地、その地上建物30、31を居住使用してその近隣の同8、10、17、23の各田(全農地の約三分の一)を耕作するのに止め、その余の農地はすべて通明が事実上農業経営をも含めて承継の上耕作することとし、これらの農地をそのころ取得した自己所有農地と合わせて耕作に専従した。

(3) 伊志子は通明と婚姻後引続き通明とともに農業に従事し、昭和三七年一月一六日通明死亡後もこれを承継して右各農地を耕作し現在にいたつている。

(二) 以上の事実によると、通明は、昭和二四年一〇月末ころから昭和三七年一月一六日に死亡するまでの間、被相続人の農業に事実上の経営者として専従していたもので、その協力の程度は通常の親族間の協力の程度をはかるに越えており、その結果本件不動産が維持されたから、その維持につき寄与したものということができる。したがつて、本件遺産の分割にあたつては、まず、附帯抗告人知子、同宏行が代襲相続したものと認むべき右通明の寄与分を評価(その算定は、被相続人と生活を共にした期間が異なるほか、前記のぶに準ずる。)してこれを相続財産の価額から控除し、残額につき各法定相続分に従つて算出された価額に右寄与の評価額の二分の一を加えた価額をもつて各附帯抗告人の取得分とし、しかる後に遺産の分割を実行すべきである。原審判が右の寄与分を全く考慮しないで本件遺産分割を実行したのは失当であり、取消を免れない。

3  なお、伊志子の寄与分について検討する。寄与分は相続人が遺産分割の手続において清算するものであるから、相続人でない第三者が遺産分割手続の中で寄与分の主張をすることは許されないものと解するのが相当である。本件において、伊志子は相続人ではない。したがつて、前記認定事実によると同人にその寄与分が肯認できないわけではないが、本件における同人の寄与分の主張は、これを認めることはできない。しかし、伊志子は、右寄与分を附帯抗告人知子、同宏行に有利に考慮されたい旨の意見を述べているので、本件遺産分割の審判にあたつては、右事情を民法九〇六条にいう「その他一切の事情」として右附帯抗告人らの有利に考慮するのが相当である。

三以上のとおりであるから、これと異なる原審判は失当であり、本件抗告、各附帯抗告はそれぞれ右説示の範囲で理由があるので、家事審判規則一九条一項により、原審判を取消した上本件を静岡家庭裁判所浜松支部に差戻すこととし、主文のとおり決定する。

(杉本良吉 高木積夫 清野寛甫)

別紙抗告理由〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例